所沢と「風立ちぬ」

所沢市は日本の航空発祥の地であり飛行場がありました。昨年から航空公園内の航空発祥記念館には零戦が展示されています。飛行場跡地は大半が米軍の通信基地となり、残りは公園、国、県、市の公共施設、そして航空管制部等となっています。

この夏、7/20からロードショーが始まる宮崎駿監督のジブリ映画「風立ちぬ」は零戦を設計した堀越二郎技師をモデルとした作品のようです。但し、タイトル「風立ちぬ」は文学者堀辰雄の同名作品があり、映画の宣伝ポスターには堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて、「生きねば」とあります。

宮崎駿氏は「となりのトトロ」のときから所沢とは縁の深い著名な方で、航空機や戦闘機等が登場する作品は多数あり、実存した航空技術者については昔からその存在を知られていたと想像されます。


一方、「風立ちぬ」の堀辰雄と航空機の関連性は殆どないように思われます。しかし、「風」は航空機を飛ばす上では切っても切れない関係にあります。また、風に乗る、風を読む、風をおこす等々、世相につながる言葉も多くあります。

そこで、堀越二郎と堀辰雄について調べてみると、この二人は1903年と1904年とほぼ同時期に生まれ、東京大学に入学しています。堀辰雄は数学が得意でしたが、大学では国文科に入学し、詩人の室生犀星から紹介され、芥川龍之介の愛弟子になっています。

また、西洋の文学に明るく「風立ちぬ」にはポール・ヴァレリーの詩句「いざ生きめやも」が添えられています。この作品が世に出たのは昭和12年で、当時、堀辰雄は自殺した芥川龍之介の全集を編集するため、軽井沢に滞在していました。

堀辰雄は若いころから肺結核で病弱でしたが、この軽井沢で、同様に転地治療をしていた矢野綾子という女性と知り合い婚約しました。「美しき村」に出てくる「黄色い麦わら帽子をかぶった背の高い痩せぎすの少女」で向日葵のように見えたようです。この少女が「風立ちぬ」に登場する「節子」です。矢野綾子は昭和10年12月末に亡くなりますが、その2年後に「風立ちぬ」の最終章「死のかげの谷」を書きあげます。芥川龍之介や婚約者矢野綾子へのレクイエムでした。

堀辰雄はその後、昭和16年に「菜穂子」という同じ肺結核にかかった女性を主人公にした作品を発表しています。節子は油絵を書いていましたが菜穂子は人妻でした。節子について「自然が本当に美しいと感じられるのは、これから死んでいこうとする者の眼にだけではないか」と描かれていますが。菜穂子は雪が降る信州のサナトリウムを抜け出し新宿まで上京したが、夫に勧められ病院に戻るところで終わっています。 この二人の主人公が宮崎駿氏の映画ではどのように描かれているのか興味がわきます。

但し、これらの作品が発表されたのは太平洋戦争が始まり戦火が拡大する時期で、その時代のまわりには死が身近に存在していました。特に戦地に赴く若者、特に海軍予備学生の多くが堀辰雄の「風立ちぬ」や「菜穂子」を愛読していたそうです。

堀辰雄を知る矢内原伊作氏は、死の隣合わせの軍隊生活のなかで、「現実を逃避している弱い者の感傷があったかもしれない。が死がほとんど手に触れるような確実さで迫っているとき、しかも生への願いが切なく燃えているとき、その感情は果たして逃避という言葉で尽くされるものかどうか。」「死の世界のなかになお生を輝かしく支える強さが堀辰雄の文学にあった」から予備学生に愛読され「それによって現実に打ち克つため、死を前にしてその僅かな生をいっぱいに生きるためであった」と論じています。
風立ちぬ いざ生きめやも! 

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