組織の不条理とメイン寄せ

バブルが弾けた頃、マネーサプライは最高値で不動産や株式等に、投資効果を無視した余剰資金が集まっていました。大昔、覇権オランダで新種改良を続けるチューリップの球根が大金で取引されていたときがあり、行き過ぎた取引価格の説明がつかなくなった途端、球根の価格は暴落しました。これが資本主義のバブルの始まりと言われています。

そのバブル崩壊の過程で取引先のメインバンクが当該企業を知悉し経営指導し、永年の派生的な取引を繰り返しながら儲けてきたのだから、その責任を取るのは当たり前、よって下位貸付銀行の貸付金を肩替わってもらいたい、というメイン寄せが起きました。損失が出たら責任を追及する一種の責任転換かもしれません。

但し、日本は旧財閥系のグルーピングが根強い社会ですから、メイン寄せされた銀行の逆襲が始まりました。目には目を・・・と云う訳です。このとき多額の負債を抱え経営が悪化している大企業がメイン寄せのターゲットにされたのです。しかし、これを繰り返すとメガバンクの貸付金が固定化されてしまい手元流動性が減少することになります。

そこで採用されたのがプロラタ返済です。既存貸付先は貸付シェアに応じ応分の負担をするという、当たり前の考えです。法的整理の一般債権の配当率と同じ考えです。少し考えれば当然と思われるでしょう。

しかし、主流派の常識、考え方も不変ではありません。
その時代時代を反映し微妙に変化してくる気がします。

例えば、今騒がれている「大津いじめ自殺事件」。少年が自殺した事件が起きたとき警察は親族からの告訴を受け付けませんでした。また学校側もいじめとの因果関係がないと言っていました。因果関係という言葉は訴訟を意識した発言で、民事訴訟が始まっていたのでしょう。

刑法は14歳以上を罰します。しかし、我々人間は幼児の頃から罪悪感は教え込まれてきました。セクハラ、パワハラ、暴行・傷害、窃盗は児童の頃から、悪いこと、罪なこと、ヒトを傷つけること、を理解して来たと思っています。まして中学生ともなれば尚更ではないでしょうか?

周りが関心を持ち騒ぎが大きくなるにつれ、学校組織の不条理に気付かされるのでしょう。この事象を「メイン寄せ」というのは論理の飛躍かもしれませんが、それが組織の常識であるから、あまり疑わなくなっているのでしょう。或いは長いものに巻かれているのかもしれません。一方、自己責任を当然と考えることが「プロラタ」と言えそうな気がします。

例えば子供が犯罪者になった場合、マスコミは親を責めます。監督者だから、メイン(バンク)だからと。また未成年が犯罪者になった場合、顔写真を出しません、しかし、成人者が犯罪者になったとき高校生位の頃の顔写真を平気で掲載します。

マスコミの報道倫理があるのでしょうが、「未成年の顔写真」はどちらも出すべきでないと思います。

そして、屁理屈の延長線で申し上げれば、ネット社会は孤高の少数意見も軽視できなくなり、説明できない事柄に対して、次から次に素朴な意見が出てくる気がしています。しかし、プロラタの自己責任が不可欠です。


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